本日のBGM「G-FORCE」
久しぶりの更新は今は亡きゲイリームーアが在籍していたバンド「G-FORCE」の紹介です。
ゲイリー・ムーアが1979年のThin Lizzyのツアー中に脱走して、自分で再度組み直したバンドがG-FORCEというバンド。
メンバーはマーク・ノーシーフ(元エルフ、イアン・ギラン・バンド)、トニー・ニュートン(アラン・ホールズワースの在籍したニュー・トニー・ウィリアムス・ライフ・タイムのベーシスト)、シンガーのウィリー・ディ(ウィリー・ダファーン)(キャプテン・ビヨンド)。
曲はとてもキャッチーなハードポップって感じです。
唯一のアルバム1曲目の「YOU」はゲイリーのギターソロが激しく弾きまくっている感じです。
このアルバム1枚発表後1年足らずで解散してしまったのだが・・・
個人的には凄く好きなバンドでした。
ギター音が独特で、当時の話だと、ライン録りをしたらこんな音になったそうだが。
どの曲もシングルカットに出来るほどの出来栄えだ。
もう二度と再結成出来ないのが残念でならない・・・・
本日のBGM「KRAFTWERK」
本日は1967年〜現在も活躍しているシンセポップ「KRAFTWERK」を紹介します。
クラフトワーク(独: Kraftwerkドイツ語発音: [ˈkʀaftvɛʁk]クラフトヴェルク・クラフトヴェァク、発電所(Power Station)の意)は、ドイツの電子音楽グループ[注 1]マルチメディア・エレクトロニック・プロジェクト[1]である。長年に渡り多くのアーティスト達にも多様な影響を与え[注 2]、ニューヨーク・タイムズは「エレクトロニック・ダンス・ミュージックのビートルズ (the Beatles Of Electronic Dance Music)」と評している[2]。
1967年、ラルフとフローリアンによりクラフトワークの前身というべきグループ、オルガニザツィオーンが結成される。
1970年に発表されたアルバム「Tone Float」は実験的な要素が強く、今のクラフトワークとは違い生の楽器が多く使われている事も興味深いところだろう。
Organisation - Tone float
Organisation - Tone Float (Full Album) 1969
このアルバム発表後クラフトワークとグループ名を変え数々のヒットアルバムを出します。
私が、昔FMラジオで初めて聴いたクラフトワークの曲が「電卓」でした。
当時日本語で歌う洋楽が結構ありましたがその中でこの曲はインパクトありましたね。
Kraftwerk - Dentaku - クラフトワーク - 電卓
当時はディスコなんかでも使われていましたしコンピューターミュージックを親しみやすくしました。
そんな中、私のオススメアルバムですが。
The Man-Machine
1978年のアルバムで、初のUKナンバー1シングル「The Model」とドイツで18位に入った「The Robots」というクラフトワークの代表曲とも言える2曲が収録されており、UKアルバムチャートで最高9位を記録し、1974年の「Autobahn」以来、4作ぶりとなるトップ10入りを果たした。
現在のオリジナルメンバーはラルフ・ヒュッターしかおりませんが、まだまだ現役で頑張って欲しいですね!!
本日のBGM「THE RASCALS」
本日は1960年代〜70年代初頭に活躍したブルー・アイド・ソウルバンド「THE RASCALS」を紹介します。
ザ・ラスカルズ (The Rascals) は、1964年にアメリカ・ニューヨークで結成された、ブルー・アイド・ソウルのバンドである。
フェリックス・キャヴァリエ(Vo, Kb)、エディ・ブリガティ(Vo)、ジーン・コーニッシュ(Gt)、ディノ・ダネリ(Ds)により1964年にニューヨークで結成された。 ジョーイ・ディー&スターライターズに参加していたときに知り合ったフェリックス、エディ、ジーンの3人にジャズ・ドラマーを夢みていたディノが加わった。 ニューヨーク他のクラブに出演していた彼らのライヴ・パフォーマンスが評判となり、アトランティック・レコードが契約した初の白人アーティストとなった。白人とは思えないソウルフルなヴォーカルで、「ブルーアイド・ソウル」というジャンルの筆頭格となった。 1966年のセカンド・シングル「グッド・ラヴィン」が全米ナンバーワン・ヒットとなり、一躍大スターとなった。1967年に「グルーヴィン」、1968年には「自由への讃歌」と、通算3曲のナンバーワン・ヒットを放った。2012年にはオリジナル・メンバーでの再結成コンサートを成功させ、往年のファンを狂喜乱舞させた。
当初は「THE YOUNG RASCALS」と名乗っておりました。
1964年頃クラブで白人R&Bバンドとして活躍、後にR&B名門のアトランティックと契約、1966年、デビューシングル「I AIN'T GONNA EAT OUT MY HEART ANYMORE」を発表します。
1967年、アトランティックは大手レコード会社、ワーナー・ブラザーズの傘下に入ります。
年代前後しますが、1966年、デビューアルバム「THE YOUNG RASCALS」をリリース、「GOOD LOVIN'」が大ヒット、彼らの代表曲となりました。
その後も、オリジナル曲を中心にアルバムを製作、白人アーティストがR&Bチャートの上位に進出するという快挙を成し遂げたのです。
そんな中、1970年にエディが脱退、続いて1971年ジーンが脱退、2人となったラスカルズは新しくメンバーを加えて活動するが、以前のような人気が得られず1972年解散する事となります。
ここで私のオススメアルバム「THE YOUNG RASCALS」
荒削りだが、「THE YOUNG RASCALS」の魅力がいっぱいのアルバム、オススメです。
本日のBGM「CILLA BLACK」
本日は2015年8月1日72歳で亡くなった「CILLA BLACK」を紹介します。
43年生まれ、本名はPriscilla White! ビートルズが出演していたキャバーン・クラブでクローク係をしていました。
マネジャーはブライアン・エプスタイン、プロデューサーはジョージ・マーティン。アメリカではあまり売れませんでしたが、英国では11曲のベスト10ヒットを持ち、64年にNo.1になった「Anyone Who Had A Heart」(バカラックの曲)は女性シンガーの曲としては英国で最も売れたとか。ジェリー&ザ・ペースメーカーズの映画「Ferry Cross The Mersey」にも出演。60年代末以降はTVスターとして活躍しているようです。
当時、ビートルズの妹分として親しまれていたそうです。
63年に「Lennon/McCartney」による「Love Of The Loved」でデビュー、63年から72年にかけて米国で3曲チャートイン、英国で19曲チャートインしている60年代、英国を代表する女性シンガーです。
ここで、私の好きな曲、全英No.1ヒット、64年全米で唯一のヒット「You're My World」観てみましょう。
Cilla Black "You're My World" on The Ed Sullivan Show
この安定感のある歌唱力、ジョージ・マーティンのプロデュースプロデュースもあって最高傑作です。
そんな彼女が2015年8月に、スペインの別荘で倒れた後、脳卒中で亡くなったのは非常に残念な事です。
「CILLA BLACK」のアルバム2枚を一枚したCD、「CILLA/CILLA SINGS A RAINBOW」がおすすめです。
ビートルズのカバー「YESTERDAY」が収録されてます。
本日のBGM「LULU」
現在も活躍している「LULU」を紹介します。
ルル(Lulu)の芸名で知られるルル・ケネディ‐ケアーンズOBE(Lulu Kennedy-Cairns、1948年11月3日 – )は、イギリス、スコットランド出身の歌手、作曲家、女優、テレビタレント。1960年代から現在までショウビジネスの第一線で活躍している。
アメリカでは、1967年に公開されたジェームス・クラヴェル監督、シドニー・ポワチエ主演の映画『いつも心に太陽を』(To Sir,With Love) のバーバラ・ペグ役と、同名の主題歌を歌ったことで有名。イギリスではデビュー曲「シャウト」 (Shout)、ユーロビジョン・ソング・コンテストのエントリー曲となった「恋のブンバガバン」(Boom Bang-a-Bang) などがよく知られている。
4歳で歌を披露するなど子供の頃から既に歌の才能があったんですね。
14歳の時には、地元バンドThe Gleneaglesにリードシンガーとして加入、グラスゴー、エジンバラのクラブに出演、ここで歌のスキルをあげていき、マリオン・マッセイ(後にマネージャーとなる)に発掘され、ルルという芸名にして、バンド名もザ・ラヴァーズと改名した。
1964年春、ルルが15歳の時、アイズレー・ブラザーズの「シャウト」をカバー、UKチャート7位まで上昇、一気に人気アイドルとなる。
では、「シャウト」をご覧ください。
15歳でこの歌唱力!! ど迫力ですよね!!
パワフルでソウルフルな歌声、最高です。
1966年にはザ・ラヴァーズから離れ、ソロ歌手として独立します。
1967年、映画初主演作となる「いつも心に太陽を」が公開され、ルルが歌った主題歌「To Sir With Love」が全米1位に輝く。
「To Sir With Love」
To Sir, with love (1967) - the ending
「いつも心に太陽を」、この映画は白人の生徒たちの高校に赴任してきた黒人教師の物語で、学園もののはしりと言うべき作品で、白人と黒人の社会問題に焦点を当てたものである。
とてもいい映画でした。
1969年、ビージーズのモーリス・ギブと結婚しますが、4年後に離婚します。
1976年にヘアー・ドレッサーのJohn Friedaと再婚しています。
その後も1980年代、90年代、2000年〜現在まで様々な活躍をされてます。
私のおすすめアルバムです。
「The Best of LuLu」です。
ルル、60、70、80年代のHit集。
デビューヒットの「シャウト」「To Sir With Love」等収録。
ルル入門編にいかがでしょうか。
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本日のBGM「BADFINGER」
本日は70年代に活躍した「BADFINGER」を紹介します。
バッドフィンガー(Badfinger)は、ウェールズのスウォンジ出身のピート・ハムとイングランドのリヴァプール出身のトム・エヴァンズを中心として結成されたロックバンド。
バッドフィンガーの前身となる、アイヴィーズと言うバンドがあって、ビートルズが設立した「アップル・レコード」にスカウトされて1968年にデビューしたものの、鳴かず飛ばずでした。
1969年「バッドフィンガー」に改名、バッドフィンガー名義のファースト・アルバム「マジック・クリスチャン・ミュージック」が発売、アルバム1曲目の「Come and get it」はビートルズのポールが作詞・作曲、リンゴ・スター主演の映画「マジック・クリスチャン」のテーマ曲になりました。
そこで早速「Come and get it」
ポールらしいポップでキャッチーなメロディーラインが印象的です。
ビルボードTop10に入るヒットになりました。
アップル・レコード時代にバッドフィンガーとしては4枚のアルバムを発表、1971年、3枚目のアルバムまでは商業的に成功していたのだが・・・
1970年ビートルズの解散でアップル・レコードは財政的に混沌としていたようで、良いサポートはうけていなかったそうです。
1974年にワーナー・ブラザーズに移籍して数枚のアルバム発表したものの、アルバムの発表するタイミング、メンバーチェンジ、金銭的トラブル、メンバーの自殺で1975年、バンドは一時終焉を迎える事となる。
1978年、バッドフィンガー再結成されるが昔の勢いはあまり感じられなかった・・
そんな中、また一人メンバーが自殺、1983年、バッドフィンガーの歴史が終わるのであった。
悲劇のバンド、私の中ではそんな印象でした。
やはり私の1番のおすすめアルバムですが。
「MAGIC CHRISTIAN MUSIC」です。
どの曲もシングルカット出来る位良い曲揃いです。