本日のBGM「The Hollies」
本日は60年代から活躍していたマンチェスターの「The Hollies」を紹介します。
ザ・ホリーズ(英: The Hollies)は、イギリスのロックバンド。
ホリーズというバンド名は、メンバーが好きだったバディ・ホリー(Buddy Holly)に由来するという説と、命名時期がクリスマスシーズンでヒイラギ(holly)に由来するという説、またその2つを掛け合わせたという説がある。
60年代ビートバンドの中でビートルズに似ているとか言われたそうですが、私からしてみたら、あのハーモニー。コーラス・ワークはビートルズとは違い鮮やかにハモるって印象を受けます。
まずは、この曲を聴いていただきたい。「Look Through Any Window」
The Hollies - Look Through Any Window
この曲は1965年の曲ですが、コーラス・ワーク、特にナッシュの高音が心地よいハーモニーを作り出してますよね。
おそらくメンバーそれぞれの声質もあるのだとは思うが洗練された感じで聴いていてストレスが感じられない。
日本でも「Bus Stop」が大ヒットしました(平浩二さんのバスストップではないです)
「The Hollies」の曲はビートルズに比べてオーソドックスな進行が多いから
尚更コーラス・ワークが冴えるのでしょう。
実は現在もメンバーチェンジはしてるものの活躍しております。
結成当時のメンバーはトニー・ヒックスしかいないみたいですが・・・
アルバムは相当数発売されている中、私のお気に入りのアルバムですが。
「The Hollies ABBEY ROAD N.W.8 1963 to 1966」です。
このアルバムは3種類(1963 to 1966 .1966 to 1970 .1973 to 1989)ありまして、
The Hollies入門編にはいいアルバムだと思います。
グラハム・ナッシュは1968年にホリーズを脱退、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングを結成大成功してます。
「The Hollies」は数少ない現在も活躍する60年代のバンド、まだまだ活躍してほしいですね。
本日のBGM 「Mary Hopkin」
本日は60年代「アップルの歌姫」と言われた「Mary Hopkin」を紹介します。
メリー・ホプキン(Mary Hopkin, 1950年5月3日 - )は、英国の歌手。
ウェールズ出身でウェールズ語を母語に育ち、民謡歌手として音楽活動に入る。地元のインディーズ・レーベルでいくつか録音を残した後、ツイッギーに見出されて、ビートルズのアップル・レコードと契約する。アップル所属時代は、その容姿や美声から「アップルの歌姫」と呼ばれた。
ポール・マッカートニーがプロデュースしたシングル「悲しき天使 (Those Were the Days)」は、1968年8月30日にイギリスで発表され、有名なスター、サンディ・ショーと競作する格好となったにもかかわらず、彼女の録音が全英シングル・チャートの首位に輝き、全米シングル・チャートでも第2位を射止めた。
ツイッギーに見出され、ビートルズのポールがプロデュース!!
ポールがプロデュースしたファーストシングル「悲しき天使」が全英シングルチャート首位、全米チャートでも2位ですからね、凄いことです。
曲調としては全体的にフォーク路線が強いです。
本人もフォーク歌手にこだわってたみたいですし。
ここで私の好きな曲「Goodbye」
この曲はセカンドシングルでポールが作詞作曲した楽曲。
全英シングルチャート2位でした(1位はビートルズのゲットバック)
とてもキャッチーなメロディーでMary Hopkinの歌声にぴったりな感じです。
そんな絶好調の彼女でしたが、3枚目シングルでアップル側はポップスシンガーとしてポールが用意した曲「Que Sera Sera」が気に入らなかったのか、ミッキー・モストのプロデュースした「夢見る港」に変更してしまったのだ。
この一件でポールはすべてのプロデュースから手を引いてしまったのでした。
それでも彼女の人気は絶えることなく、そんな中、1971年結婚して音楽界から引退してしまう。
ここで私のお気に入りのアルバム。
「POST CARD」です。
こちらはアップルレコードメジャーデビュー1作目のアルバムです。
ポールがプロデュース・選曲しただけあってMary Hopkinの魅力が満載です。
2010年娘のジェシカ・リー・モーガンが歌手デビュー、母親に似て素敵な歌声です。
これからの活躍を期待してます。
本日のBGM 「Small Faces」
本日はイギリスのロックバンド「Small Faces」を紹介します。
スモール・フェイセス (Small Faces)(1965年 - 1969年)は、イギリスのロックバンド。スティーヴ・マリオットとロニー・レーンに率いられ、ドラムスのケニー・ジョーンズとオルガン及びキーボードのイアン・マクレガンで活動していた。結成時はジミー・ウィンストンがメンバーであったがデビュー後、直ぐにイアン・マクレガンに交代させられた。メンバーは全員イースト・エンド出身で、ウエスト・エンドのザ・フーに次ぐイギリスの代表的モッズ・バンドであった。
ザ・フーと並んで60年代イギリスのモッズバンドの代表とも言えます。
小柄なメンバーが多くてバンド名に「Small」を付けて、シーンの顔役と
意味を込めて「Face」で「Small Faces」と名つけたのはなるほどです。
ボーカルのスティーヴ・マリオットは元々子役俳優で、俳優業の傍音楽活動してたんですね。
前回紹介した「Herman's Hermits」のボーカル、ピーター・ヌーンと同じような境遇ですね。
でも「Herman's Hermits」はピータ・ヌーンとバックバンド的な意味合い、「Small Faces」は実力派バンドってところでしょうか。
曲は激しめの曲が多く、特に私が好きな曲が「Tin Soldier」です。
ドラムのケニー・ジョーンズがカッコイイんですよ!
あの正確なビートを刻みながら激しいフィルイン、後にザ・フーに加入するのも理解できます。
ザ・フーの話は後日ブログで!
お気に入りのアルバムですが。
「the best of Small Faces」です。
こちらは輸入盤で代表曲が収録されてますので入門編にはもってこいですね。
「Small Faces」としては1965〜1969と活動期間が短かったです。
その後、スティーブ・マリオットはハンブルパイを結成、残ったメンバーで当時ジェフ・ベック・グループを脱退したロッド・スチュアート、ロン・ウッドを加えフェイセズとして活動してたのは有名な話。
その後、レーン以外でスモール・フェイセズが再結成された事もありましたが(1975〜1979)、1991年ステイーブ・エリオットが不慮の事故で亡くなってしまい、もうあの時のスモール・フェイセズは観れないのが残念です。
「みんなの夢をかたちにしよう。」
体験型音楽サービス【WIZY】
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ┃☆秋葉原の【中古DVD専門】毎日大量入荷!年中無休!送料無料☆┃ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ◆秋葉原で10年以上営業している中古DVD専門店です。 年中無休で即日発送!全品メール便送料無料です。 状態の良い国内正規品のみの取り扱いで、様々なジャンルの激安商品多数ございます! https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=2TGD48+IGGJ6+17T8+5YRHF
本日のBGM 「MANFRED MAN」
またまた私のお気に入り60年代ブリティッシュロックから「MANFRED MAN」を紹介します。
マンフレッド・マン(本名マンフレッド・ルボヴィッツ)は、1940年生まれ、南アフリカ共和国・ヨハネスブルグ出身のキーボーディスト。
ヨハネスブルグのヴィトヴァーテルスラント大学で音楽を勉強し、クラブで演奏するジャズピアニストとして演奏活動を開始します。南アフリカ時代の59~61年に最初のバンドVIKINGSで2枚のアルバムをリリース。このグループは南アフリカで最初のロックン・ロール・バンドだったそうです。
同国のアパルトヘイト政策に反発し61年に渡英した彼は、翌年マイク・ハグ(ds)、マイク・ヴィッカーズ(g)、デイヴ・リッチモンド(b)らとともに「MANN HUGG BLUES BROTHERS」を結成。
シンガーのポール・ジョーンズ加入後プロデューサーの提案でバンド名をMANFRED MANNに変更、60年代イギリスを代表するグループの一つMANFRED MANNがここから本格的に始動します。MANFRED MANNとして活動した64年~69年にはカバーナンバーを中心に数々のヒット曲を送り出し、ブリティッシュ・ビート/R&Bの人気グループとしての地位を確立していきます。幾度かのメンバーチェンジを経る中で、ジャック・ブルース、クラウス・フォアマンなど後の有名ミュージシャンが在籍していたことも特筆すべき点ですね。
マンフレッド・マンの経歴
マン・ハグ・ブルース・ブラザーズ(Mann Hugg Blues Brothers) 1962年後半
第1期 1963年~1964年
第2期 1964年~1965年
第3期 1965年~1966年
第4期(Manfred Mann Chapter Two) 1966年~1969年
(Manfred Mann Chapter Three)
ザ・マンフレッズ(The Manfreds) 第1期 1991年~1999年
ザ・マンフレッズ(The Manfreds) 第2期 1999年~2003年
ザ・マンフレッズ(The Manfreds) 第3期 2003年~2006年
ザ・マンフレッズ(The Manfreds) 第4期 2007年~
この「ザ・マンフレッズ」ですが、肝心なマンフレッド・マンが在籍しておりません。
マンフレッド・マンは1972年に「マンフレッド・マンズ・アース・バンド」を
結成しております(現在も活動してるかは不明)
なんとも複雑な感じですね!
そんな中、私が好きな曲は「Doo Wah Diddy Diddy」
Doo Wah Diddy Diddy Manfred Mann HiQ Hybrid JARichardsFilm
この曲は63年に発表した「The Exciters」のカバーなんです。
R&B、ブルース等を取り入れた感じですね。
お気に入りのアルバム。
「THE BEST OF MANFRED MANN」です。
ベストと言うだけあって当時のヒット曲が様々聴けます。
私の印象はとにかくメンバーチェンジの多いバンドだなと・・・
メタリカ、明日5/10午前10時より北米ツアー初日の前日のリハーサルを生配信することが決定!!
メタリカは、「ワールドワイアード・ツアー 2017」北米ツアー初日の前日である5月9日午後9時(日本時間:5月10日午前10時)に、公演会場であるボルチモアM&Tバンク・スタジアムから「ナウ・ザット・ウィア・ライヴ」リハーサル・スペシャルをフェイスブック・ライヴでライヴ配信することを発表している。
当日は4曲のリハーサル生配信が予定しており、今回発表した最新作「ハードワイアード・・・」から演奏されるとの事。
こりゃ、ツアー前にファンの皆とテンション上げていこうぜぇ〜って
感じなんでしょう・・流石メタリカ!!
今回のライブ配信はフェイスブックで行われ、視聴者はライブ上でメタリカ慈善団体「オール・ウィズイン・マイ・ハンズ・ファンデーション」への寄付を行うこともできるのだそうだ。
「オール・ウィズイン・マイ・ハンズ・ファンデーション」は、メタリカの各メンバーが支援する国、各都市、ベイエリアのチャリティや、音楽教育プログラム、各都市のフード・バンクを支援している。
話は変わりますが私、メタリカデビューが遅くて、2003年に発表された8thアルバム「St.Anger」からなんですよ・・・・
これには理由がありまして・・・
メガデスは昔バンドでコピーした経験があり(ギターがメガデス好き)、それ以来結構聴いていたんですが、メタリカは2003年まで少し聴いた事がある程度でした。
元々ジャパメタ等メタル好きではあったのですが、スラッシュ寄りのバンドってあまり聴く機会がなかったんです。
バンド組んだ時のギタリストがスラッシュ好きだとかで結構聴くように
なったんですよね。
たまたま2003年にメタリカのコピーバンドやりたいと言うベーシストがいて、その時初めてメタリカをじっくり聴きました・・・
「St.Anger」を初めて聴いた時「スネアの音凄いカンカンしてるな!」「ギターソロ無いんだ!」・・・こんな感想でした。
今思えば、このアルバム、メタリカでは異色のアルバムなんですよねww
このアルバム聴いて、これがメタリカなんだと思ってましたが、過去アルバム聴いたりするとドラムの音全然違うではないですか!!
でも、「St.Anger」から4曲ほどバンドでコピーしましたが、ドラム結構楽しかったです。
スラッシュ系のドラムのアプローチってこんな感じなのかと勉強させていただきました。
明日の生配信忘れないようにしなきゃ!!
本日のBGM 「Herman's Hermits」
本日も私の大好きな60年代ブリティシュロックから「Herman's Hermits」を紹介します。
ハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits)は、イギリスのバンド。1960年代にブリティッシュ・インヴェイジョン勢力のバンドとして活動した。
1964年8月に発表したデビュー曲「朝からゴキゲン」がイギリスで大ヒットし、翌1965年にはビートルズの成功に続くべくアメリカに上陸する。ヴォーカルのピーター・ヌーンのアイドル的ルックスと、清潔感のある親しみやすいイメージ戦略で高い人気を博し、「ミセス・ブラウンのお嬢さん」「ヘンリー8世君」など多くの全米トップ10ヒット曲を連発した。
ロックというより曲調はポップですよね。
マンチェスターで活動してたハートビーツと言うセミプロバンドが母体となり、そこで子役として実績があったピーター・ヌーンが加入して「Herman'S Hermits」とバンド名を変え結成されたのが1963年頃でした。
バンド名の由来は、ピーター・ヌーンが当時の人気TVキャラ「シャーマン」に似ていたから、もじって「ハーマン」にしたそうです。
イメージ的には、「ピーター・ヌーンとバックバンド」って感じでしょうか、
アイドルバンドの先駆けですね。
曲もご機嫌なポップスが多く、中にはイギリスの懐かしいメロディー・民謡等を上手くアレンジしたのもあって当時としては画期的だったのでは無いかと思います。
その中でも私の好きな曲は「I'M HENRY THE EIGHTH I AM」
Herman's Hermits - I'm Henry Vlll I Am
ノリノリのテンポなんですが、曲調はイギリスの懐メロ!
これがアメリカにウケて1965年チャート1位の大ヒット、代表曲となってます。
本国イギリスよりアメリカで人気が出たバンドですね。
ここで私が1番お気に入りのアルバムですが。
「introducing herman's hermits」です。
このアルバムは日本でのデビューアルバムでボーナストラックが7曲収録されてまして、入門編って感じでしょうか、初めて聴く方にはこのアルバムをお勧めします。
最終的にピーター・ヌーンが1971年に脱退したことによってバンドは事実上解散となるのだが・・・
実は現在も「Herman's Hermits」は活動してるんですよ!
なぜこうなったのかは分かりませんが二つの「Herman's Hermits」が存在します。
ドラムだったバリー・ホイットワムはグループの名義のみを存続させ、「ハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits starring Barry Whitwam)」として活動を継続しているが、ヌーンが独立後に結成したバンドも「ハーマンズ・ハーミッツ(Herman's Hermits starring Peter Noone)」を名乗って活動している。
どちらも活動中みたいだけど、演奏曲モロ被りなんでしょうか?
どちらのライブも観てみたいですww
本日のBGM 「Peter and Gordon」
私の大好きな60年代ブリティッシュロックから「Peter and Gordon」を紹介します。
ピーター&ゴードン(Peter&Gordon)はイギリスのピーター・アッシャーとゴードン・ウォーラーによるデュオグループ。
イギリスのロンドンにあるウェストミンスター・スクールで出会ったピーター・アッシャーとゴードン・ウォーラーによって結成され、1964年に「愛なき世界」(A World Without Love)が全米1位のヒットとなり、一躍有名になったブリティッシュ・インベイジョン時代のデュオ。エヴァリー・ブラザース風のコーラスを取り入れ、本国イギリスだけでなくアメリカでも多大な人気を得た。
ピーター・アッシャーと言えば妹(女優のジェーン・アッシャー)が当時ポール・マッカートニーと交際していたことで知られていますよね。
そんな縁もありマッカートニーが書いた曲も何曲かレコーデイングしてます。
中でも私が好きな曲は、「逢いたくないさ」(I Don't Want To See You Again)
Peter & Gordon - I Don't Want To See You Again [The ES Show 1964]
流石ポール!メロディーがキャッチーで二人のハモリも最高に良いですね!
1964年に結成、1968年解散・・・4年しか活動してなかったのは残念。
アルバム・シングル何枚も出してますが、私が1番のお気に入りは。
「In touch with」です。
たまたま私が購入したのがmono&stereo盤でmonoバージョンで14曲、stereoバージョンで14曲収録されてるのが特徴的(1997年リマスター盤)。
なので同じ曲がmono,stereoと聴けます。
こちら輸入盤なんですが現在廃盤のようです。
解散後ピーター・アッシャーはアップル・レコードからワーナー・ブラザーズに移動、プロデューサーとして成功、リンダ・ロンシュタットなど70年代に多数のヒットを世に送り出しました。
一方、ゴードン・ウォーラーはソロ活動を継続、ヒット曲に恵まれなかったみたいです。
2005年に再結成したんですよね、それも37年ぶり!
ツアーも行っていたんですが・・・・
2009年7月17日、ゴードン・ウォーラーが心臓発作で亡くなる、64歳でした。
残念です。
また日本でもコンサートして欲しかった。