道産子ドラマーjunのBlog

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1991年知り合いが誰もいない旭川でどうやってバンド活動したのか

時代が前後するが、前回少し話題に上がった旭川時代にやっていたバンドの話をしたいと思います。

高校時代から大学時代もバンド活動をしており、就職を機にバンド活動を離れる友人が多い中、私は逆に知らない土地に赴任したおかげで音楽を通して友人が欲しかったのである。

これが札幌で就職していても多少は音楽活動をしていたのだろうけど、全く知り合いがいない旭川、自分にはバンド(ドラム)しか知り合いを増やす方法が思いつかなかった。

4月に赴任してまずは現地の楽器店巡りをした、そこでまず驚いたのが音楽スタジオが少なかった事だ。

確かに札幌と比べたら音楽人口も少ないだろうしライブハウスも少ない、それにしても社会人が使える夜遅くまで営業している音楽スタジオが皆無だった。

夜9時頃まで営業しているスタジオしかなく、旭川のバンドマンはどこで練習しているのか当時不思議でした。

先ずはメンバー募集をしようと思い楽器店等張り紙を見て歩いた記憶があり、なぜか家電量販店に張ってあったメン募が気になり電話番号をメモり後日電話をすると一度ドラムを聴きたいというので会うことに。

色々旭川バンド事情に詳しい方だったのでどこで練習しているのか、今やっているバンドはどんなバンドなのか聞きました。

話を聞くと社会人バンドマンは使わなくなった片田舎の一軒家を格安で借りて自前の機材を持ち込んで練習しているらしい。

確かに音の問題だけクリアすれば何時間でも練習できるしバンドマンならありがたい事だ。

色々話を聞いているとオリジナルハードロックでかなり各パートのクオリティーを求めているバンドのようだった。

元々ハードロック好きであったので直ぐに加入、ドラムセットを格安で譲ってもらい週1〜2のペースで練習をしていました。

練習が厳しいバンドで、あの旭川の5年間がなければ今のドラムスキルは身に付いていなかったのではないのかと思います。

ドラム・ギター以外は何度かのメンバーチェンジがあり時にはティーンズミュージックフェスのゲストに呼ばれたりと当時の旭川でそこそこ知られたバンドでした。

メンバーの転勤(自分も)あり解散してしまうのですが(現在は旭川で再結成しています)、今となってはとても良い思い出です。

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