北海道懐かしいローカルCMを叩いてみました、その11
北海道懐かしいローカルCMも今回で11回目です。
様々北海道懐かしいCMソングでドラム叩きましたが、中には閉店してしまっている企業もあり歴史を感じさせます。
今回取り上げたローカルCMも2000年代に無くなってしまったお店の曲になります。
「焼肉昌苑〜50%オフ」と当時、お得感があって私も何度か行ったことがあります。
でも毎回50%オフとCMで歌っていたので、果たして定価で提供した事があったのだろうかと問題になり一度無くなったお店です。
ところが今年2021年4月、約20年ぶりに復活したのです。
今回は50%オフではなく50%ポイントバックになってましたね。
CMの覆面2人は相変わらず変わっていませんね。
北海道懐かしいローカルCMを叩いてみました、その10
北海道懐かしいローカルCMも第10弾となりました。
記念すべき10回目のCMソングは「白い恋人」です。
白い恋人とは北海道札幌市のお菓子メーカー石屋製菓が製造・販売している洋菓子で、ラングドシャでチョコレートを挟んだ物です。
ホワイトチョコが白い恋人ホワイト、ミルクチョコレートが白い恋人ブラックの2種類あります。
1976年12月に発売されて、今でも北海道お土産に人気のお菓子です。
このCMソングは1994年に放送されたもので、曲は検索してもヒットしなかったので、このCM用に作られたものなんでしょう。
とてもシンプルなリズムでメロディーが印象に残ります。
コロナウイルスの影響で2020年2月20日から3月15日まで製造停止したのは記憶に新しいと思います。
バンドブームの時NHKで演奏する機会がありました
時代は第二次バンドブームと言われていた1988年か1989年頃(記憶が定かでない)、私が大学2年か3年の頃だったと思う。
田舎の高校を卒業後札幌の大学に進学して迷わず音楽サークルに入ったのだが、時代は丁度バンドブームだった。
サークルでBOØWY、レベッカ、ユニコーン、ブルーハーツのコピバンが沢山いて部員も当時40名位は在籍していて、ボーカルが1番多く次にギター、ベース、ドラム、キーボードのだったのを憶えている。
イカ天が1989年に放送され、更にバンドブームに火がついて北海道からイカ天に応募したバンドも多数あり、私も当時組んでいたオリジナルバンドでイカ天に応募しようと真剣に思っていました。
実際は様々な事情で(いまいち憶えていないが)イカ天には応募せず札幌でのんびりオリジナルブルースバンドで演奏しておりました。
このオリジナルブルースバンド、田舎の高校の同級生がたまたま皆札幌の大学に進学して(それぞれ別の大学)意気投合してできたバンドです。
で、何故NHKで演奏する機会があったのかと言うと、先に述べたバンドブームでNHKも音楽に対して何かしらの企画でもあったのでしょう、新入社員に対してPAの研修を行うために札幌のアマチュアバンドを募集して、撮影した動画をVHSにしてもらい、出演料も頂けるという美味しい企画でした。
私が持っている動画で1番古いものであり、数台のカメラで撮影してもらったので当時にしてみたら凄い事だったんですよ。
撮影当日思ったほど緊張する事なくすんなり撮影が終了した記憶がありますね。
いい思い出です
1991年知り合いが誰もいない旭川でどうやってバンド活動したのか
時代が前後するが、前回少し話題に上がった旭川時代にやっていたバンドの話をしたいと思います。
高校時代から大学時代もバンド活動をしており、就職を機にバンド活動を離れる友人が多い中、私は逆に知らない土地に赴任したおかげで音楽を通して友人が欲しかったのである。
これが札幌で就職していても多少は音楽活動をしていたのだろうけど、全く知り合いがいない旭川、自分にはバンド(ドラム)しか知り合いを増やす方法が思いつかなかった。
4月に赴任してまずは現地の楽器店巡りをした、そこでまず驚いたのが音楽スタジオが少なかった事だ。
確かに札幌と比べたら音楽人口も少ないだろうしライブハウスも少ない、それにしても社会人が使える夜遅くまで営業している音楽スタジオが皆無だった。
夜9時頃まで営業しているスタジオしかなく、旭川のバンドマンはどこで練習しているのか当時不思議でした。
先ずはメンバー募集をしようと思い楽器店等張り紙を見て歩いた記憶があり、なぜか家電量販店に張ってあったメン募が気になり電話番号をメモり後日電話をすると一度ドラムを聴きたいというので会うことに。
色々旭川バンド事情に詳しい方だったのでどこで練習しているのか、今やっているバンドはどんなバンドなのか聞きました。
話を聞くと社会人バンドマンは使わなくなった片田舎の一軒家を格安で借りて自前の機材を持ち込んで練習しているらしい。
確かに音の問題だけクリアすれば何時間でも練習できるしバンドマンならありがたい事だ。
色々話を聞いているとオリジナルハードロックでかなり各パートのクオリティーを求めているバンドのようだった。
元々ハードロック好きであったので直ぐに加入、ドラムセットを格安で譲ってもらい週1〜2のペースで練習をしていました。
練習が厳しいバンドで、あの旭川の5年間がなければ今のドラムスキルは身に付いていなかったのではないのかと思います。
ドラム・ギター以外は何度かのメンバーチェンジがあり時にはティーンズミュージックフェスのゲストに呼ばれたりと当時の旭川でそこそこ知られたバンドでした。
メンバーの転勤(自分も)あり解散してしまうのですが(現在は旭川で再結成しています)、今となってはとても良い思い出です。
グラインドコアバンドを始めたきっかけ
私はドラム歴35年位になるのだが、今まで様々なジャンルの曲を叩いてきました。
ポップス、ロック、メタル、歌謡曲、ディスコ・・・・
その中でも異質な、ある意味聴く人を選ぶジャンル、グラインドコアのバンドに在籍していた時期があります。
元々札幌で音楽活動をしていたのですが就職を機に旭川へ赴任、旭川は誰も知り合いがいない未開の土地だったんですがメンバー募集(既存バンドに参加)でオリジナルハードロック〜のちにオリジナルプログレハードロックバンドでドラムを叩くことになるのだが・・・この話は後日書こうと思います。
5年旭川で仕事して転勤で札幌に戻ってきた時にはライブハウスが移転していたり増えていたりとかなり様変わりしておりました。
また1から音楽活動を始めようと思い旭川時代にやっていたバンドメンバーから紹介された札幌在住のギタリストと札幌のスタジオでセッションを行い、後日ドラムを探しているバンドがいると言うことで、札幌在住ギタリストバンドがライブを行ったライブハウスに行き初対面、その時聴かされた音源はハードコアでした。
正直「ただ速いだけじゃん」と思ったのですが、今まで経験したことのないジャンルだったので二つ返事でオッケーと言ってしまいました。
それで、ボーカルの家に行った時様々なグラインドコアバンドの音源を聴かされました・・・
最初はどれも速いだけで同じ曲に聴こえていたのですが、お勧めの音源を聴かされているうち、なんか面白そうだなと感じるようになりスタジオに入りました。
ブラストビートがメインのグラインドコアなんですが、自分が思っていたより難しくなくすぐに受け入れることができました。
1曲が短く、全曲オリジナルなんですが、長くて2分、短い曲なら2秒です・・・・
その代わり短い曲の中でスネアを叩く数は半端なく多いです。
テンポが200以上あり、ボーカルはデス声、弦楽器は2音下げ、ある意味音の暴力です。
どんな音楽をやっていたのか良かったら観てください。